THE BIG ISSUE JAPAN 207号

THE BIG ISSUE JAPAN 207号(2013年1月15日発売)
盲ろう者」 二重障害の世界

視覚と聴覚の両方を失っている、またはそれらが不十分な状態の人は「盲ろう者」と呼ばれている。厚労省調査(06年)の推計によると、20歳以上の「盲ろう者」は2・2万人。 視覚・聴覚の二重障害によって外界からの情報が絶対的に不足し、周りの状況がつかめなくなったり、他者とのコミュニケーションが極端に困難になってしまう。そんな過酷な状態を超えて、門川紳一郎さんは外国の大学で学び、現在は盲ろう者の仕事や憩いの場である「NPO法人視聴覚二重障害者センターすまいる」を立ちあげ活動している。また、森敦史さんは、ルーテル学院大学に入学、通訳のサポートを受けながら、「自分のような盲ろう者の役に立ちたい」と社会福祉を学んでいる。早坂洋子さんは、仙台での盲ろう者の活動を中心的に担っている。「盲ろう者」が置かれている状況やその世界を知り、共有したいと思い、門川さんと「すまいる」のスタッフ、森さん、早坂さんにそれぞれ取材させていただいた。

この世の中の1人ひとりが、どんな障害を持っていたとしても、「社会的存在」として生きていくために、必要な仕事や活動がある。このことについて、改めて考えさせられる記事だった。

さて、最近、以下の本を手に取ってみた。

労働再審〈5〉ケア・協働・アンペイドワーク―揺らぐ労働の輪郭

労働再審〈5〉ケア・協働・アンペイドワーク―揺らぐ労働の輪郭

この本のなかの、仁平さんによる「序章 揺らぐ「労働」の輪郭―賃労働・アンペイドワーク・ケア労働の再編」のなかに、こう書かれている。

「生きていることは労働」という認識を受け入れたとしても、他者の生きる権利を保障するためには、その内部にもう一度区別/概念化をおこなう必要性がある。

「労働の王国」が前提とする、正規の賃労働/非正規の賃労働/無償の労働・活動・・・というヒエラルキーは、さまざまな角度から問い直し、覆す必要がある。だがそれを「労働」概念の解体というかたちで性急におこなうと、おそらく他者とともに在るための条件まで掘り崩すことになるだろう。

・・・多様な位相の「労働・活動たち」をいかに概念化し、配分していくのか―。領域と問題に応じた絶えざる線の引き直しを通じて、地道に答えを探っていくことこそが、「労働」が人間を使いまわす時代を終わらせるための必要なステップとなるだろう。

確かに、生産労働/再生産労働/非生産労働を区別し、「賃労働」として認められる労働(多くは生産労働)に至上の価値を置く「賃労働を頂点としたヒエラルキー」は再考されるべきだ。

とはいえ、「生きていることが労働だ」と、乱暴な言い方をしなくてもいい。「労働」はこうだ、こういう「労働」に賃金が支払われるべきだ、と一律に決めてしまう必要はない。

その時々、その領域で、何を「労働」とみなすか、線引きが行われ、常々、それは問い直される。しかしながら、私たちが何をなすべきか、どういう仕事、活動、労働に促されるべきかを決定する際には、以下の価値を推進するということが念頭に置かれなければいけないのではないか。

誰もが、社会のなかで、1人で、自立して生きていくことができる。
誰もが、豊かに生きていくことができる。

様々な障害を持つ人、ケアが必要な人がいる以上、それを支える人、それを支える仕事や活動が必要である。
誰かがそれを負担しなければならない。それを、社会のなかでどうやって配分していくのか、それが問われなければならない。