阿部彩著『弱者の居場所がない社会―貧困・格差と社会的包摂』(2011年)

弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 (講談社現代新書)

弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 (講談社現代新書)

プロローグ 社会的包摂と震災
第1章 生活崩壊の実態
第2章 「最低生活」を考える
第3章 「つながり」「役割」「居場所」
第4章 本当はこわい格差の話
第5章 包摂政策を考える
第6章 インクルーシブな復興に向けて

「社会的包摂」という観点から、現代日本の貧困、社会的排除の状況、そして目指されるべき社会政策のあり方を論じた本である。
「貧困」、「社会的包摂」、「社会的排除」という言葉がわかりやすく解説され、テーマに関する最新の研究成果も紹介されている。
このテーマの入口になる本だといえる。

何点か、感想を述べようと思う。

第一に、調査データを示して、社会的排除の多面的な側面を明らかにしている点が、よかったと思う。
たとえば、「食料が買えなかったことがある」は8世帯に1世帯(p.22)、など。
データは、国立社会保障・人口問題研究所が2007年に行った調査「2007年社会保障実態調査」らしい。
ホームページでその調査結果の概要が把握できる。

第二に、これまでに言われていることだが、やはり、これからの社会保障政策を考える上で、「社会的包摂」はキーワードであろうと思う。
筆者は、「社会的包摂の観点がない貧困政策は愚策である。」(p.95)と断じる。
人は、人と人との関係のなかで、「いくつもの小さな社会」(p.94)で生きている。
「人と人との関係」は、一見、あやふやで、危ういものである。だからこそ、その「人と人との関係」は、しっかりとした「制度」に支えられたものでなければならない、と思う。
継続的な、持続可能な「関わり」。それをどうやって実現するのか?それが、これから考えるべきテーマであると思う。

第三に、筆者の主張が、具体的なエピソードを交えて示されており、興味深かった。

正直なところ、客観的なデータをもとに議論を展開するスタイルをとっている一研究者としては、このような形で社会的排除/包摂を語ることには、大きな迷いがある。だが、私は社会的排除/包摂というトピックについて、彼らのことなしに考えることはできない。(p.96)

彼らが身をもって語ってくれたのは、「つながり」「役割」「居場所」というものが、いかに人間の尊厳を保つうえで不可欠なものであるのか、ということ(p.97)

「ホームレスのおっちゃんたち」は、「路上の先生」であるという。
社会政策を考える際には、彼ら、ホームレスの人々の状況を改善する際に役立つか、を常に考えるという。それは大事な視点だと思った。

第四に、では、「社会的包摂」が大事であるとして、具体的に、どんな政策、制度が必要か、という点である(「第5章 包摂政策を考える」)。

職業訓練を始めとする人的資本への投資プログラムに貧困の解決を求めることは、結局のところ、貧困が自己責任であるという発想から脱していない。(p.176)

という指摘や、

「改善」すべきなのは労働市場であり、社会であるという発想が書けている。(p.177)

という指摘はもっともであると思う。
しかし、筆者から出される「新しい案」は、少し、抽象的で、具体性に欠けると思う。
「障害学」における「障害の社会モデル」、ユニバーサルなデザイン、ベーシック・インカム、参加手当・・・これらのことが、もっと具体的な政策を関連づけされて、論じられていればよかった。

第五に、労働市場で働くことは「社会的包摂」の唯一の手段だろうか、という疑問である。

現代社会においては、多くの人が労働市場における就労を活動の中心としていることを考えると、労働市場におけるユニバーサル・デザインが達成されないかぎり、社会のユニバーサル・デザイン化はあり得ないだろう。すなわち、どのような人であっても、「居場所」「役割」「承認」の形態としての「就労」の選択肢が提示されなければならない。そして、その労働は、「生きがい」を感じる尊厳のあるものでなければならない。(p.185)

理想論に聞こえるであろうが、あえて言う。彼らが活躍できる就労を創り出すことができる労働市場への改革が必要なのである。(p.203)

と筆者は述べる。しかし、なぜ、賃労働による「社会的包摂」を目指すのだろうか?
これまでの考察では、労働以外の様々な「承認」や「居場所」について、論じていたのではないのか?


・・・と、色々と思うところはあるものの、新書という形態をとっている本としては、望ましい社会政策について具体的に詳細に論じる、ということは難しいのであろう。
色々考えさせられた。面白い本だった。